怒涛の一週間
私自身の記録の為に書きます。
5/23(土) 早朝母から電話があり、なんだかいつもと違うから救急車を呼びたいと。
夫と一緒にすぐに向かい、救急車を呼んで検査をし、
薬をもらって月曜日に専門の病院に行ってくださいと言われ帰宅。
5/24(日) 心配だから母のところへ行くと様子がさらにおかしい。
月曜日の病院まで待たずにまた救急車なのでは?!と思いながら、
父もいたので公園に連れて行ったりして、 父が母に近付かないように何とか日曜日を過ごす。
5/25(月) 母、自分の体が支えられずもう一人では歩けない状態の中
妹と二人で母を支えながらなんとか病院へ。
「大変危険な状態です」と言われ、即入院・・・
1人にしておけない認知症の父はどうしようと途方に暮れる。
すぐにケアマネさんに連絡をし、ショートステイ出来る所を手配してもらい、
安心して母の事だけに集中できると思った瞬間・・・ステイ先からTEL・・・
手におえないからと帰される始末。認知症専門の病院に行くことをすすめられる。
父が寝付くのを見届けて鍵をかけて帰宅。
5/26(火) 気になり5時頃に行ったら鍵が開いていて焦る。寝ていたので助かった。
ケアマネさんに紹介してもらった病院に電話をかけまくる。
その日にたまたま空きがあるという病院に連れていく。
そこでの診断は、自宅で生活できるレベルではない、入院が必要と。
ただベッドの空きがすぐにはないと言われる。
母の事もあり、仕事もある。
妹と二人で手分けしてもとても無理と泣きついて、来週火曜日から入院できることに。
もちろん今までも、都内の大学病院に通院していて薬を飲んでいるのだけど、
症状は間違いなく悪化していた。
身体が元気な認知症の相手は本当に大変。 また寝付くのを見届けて帰宅。
5/27(水) 気になり眠れず4時頃に行く。
鍵もかかっていてホッとする。 この日は妹の家に泊まらせてみる事に。
電車に乗ったり犬と遊んだりと気がまぎれるだろうと。
ケアマネさんにも泣きついて、どうにか入院までの間、
ステイが無理でも朝から夕方までのデイケアを探してもらう。
しかし、全く頼りにならないケアマネさんだと判明。
こんなに困っているのに助けてくれないのかと・・・
父は身体が元気なので動きが活発で同じ場所にじっとはしていられない。2~3時間が限度。
その為、午前中だけや午後だけ、運動を中心のデイケアに行っていた。
生徒のママさんで看護師さんの方がいらっしゃるので、思い切って相談。
父のようなタイプの人におすすめの所があるからと紹介してくれた。
5/28(木) 早速、紹介された施設の責任者に電話。
妹がデイケアに送り出すところまでやってくれたので、私は仕事ができた。
仕事終わり次第お迎えに行き、新しい施設と契約。
そこは、今までケアマネさんから紹介されていた施設とは違い、
身体が元気な方が多いようで、体操や畑仕事もしたり、麻雀や将棋もでき、
昼食、夕食、お風呂まであり、帰ってきたら寝るだけだそう。 私はそのままお泊りで見張り番。
5/29 (金) デイケアに送り出し帰宅。
仕事をしてから母の所へ行き、そして父のお迎え。
疲れてウトウトしている間に、父が外へ出ていき慌てて探し始めたけど すぐに見つかり一安心。
やはり一人にできないので、お泊りで見張り番。
5/30 (土) 朝送り出し夕方お迎えし、今日は我が家にステイ。
何度か来ているけど、初めて来たと言っている。
夫の事も、わかるんだかわからないんだか・・・
夜中トイレに起きるけど、トイレの場所がわからなくなるので、 今日は私は廊下に寝る。
母は少ししゃべれるようになっているが、歩けない。
リハビリなどしてから退院なので、まだまだ時間がかかりそう。
10年間こんな父を見続け、母は心身ともにボロボロになってしまった。
母が倒れる前に父を何とかしたいと、何度も相談したけど、
自分の身体が動くうちは父の面倒を見ると頑張っていた。
しかし・・・一番最悪なパターンとなってしまった。
いつかこういう日が来るとは思っていたけど・・・
父がここまでひどい状態だった事に気付かなかった事、
父が楽しく通えるデイサービスをもっと早く探してあげなかった事、
母の身体の事も、もっと気を付けてあげればよかった・・・etc
とても後悔している。 大丈夫だからという母の言葉に甘えていた事に深く反省している。
父の入院まであと2日、なんとかなるように願うばかり。
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